中ソ国境紛争

中ソ両国の国境紛争としては国境そのものを争う間題と、国境周辺での衝突事件とがあります。ウスリー、アムール両江には数多くの中州があり、両江の合流点であるハバロフスク近郊の黒略子島は有力な漁業基地であるところから、大きな紛争点となっていました。パミール地区では、国境未確定の地域があり、満州里近郊では、双方主張の国境は幅20数キロの違いがあります。新彊・ウィグル地区にはカザック族50万人、ウイグル族360万人などの少数民族がおり、中国側発表によると1962年4月、5月に数万人の越境があったと言います。満州地区で60年以来中国軍人、民間人の越境があり、62年には5千件あったとソ連側が非難していました。中国は黒竜江以北をロシアに割譲した愛斑条約、ウラジオストックなど沿海州のロシア割譲を決めた北京条約、イリ地区のロシア割譲を決めたイリ条約などは承服しないと主張しましたが、これはソ連への正当性の主張と警告であるとみられました。1969年3月2日ウスリー江上の中国領土珍宝島にソ連の国境守備隊が侵入し、巡回中の中国国境守傭隊に発砲する事件がおき、その後もしばしば紛争が起こっていました。中国政府は1869年にツァー・ロシアが中国に押し付けた不平等条約、中露北京条約でも珍宝島地区は中国領だとしてその侵入を強く非難しました。

中国と時代背景

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