一月革命

上海の革命派の労働者は、1966年9月に、北京からの紅衛兵に勇気づけられ、共産党の旧上海市委員会の実権派に対抗して、11月9日に3万人の参加を得て、革命造反組織を結成しました。11月から12月にかけて、この革命派の労働者は一つ一つの企業と機関ごとに、権力を接収しはじめました。67年1月4日に、他の革命派の団体と適合して革命にカを入れ、生産を促し、ブルジョア反動路線の新たな反撃を徹底的に粉砕しようという、上海全人民へのアピールを発表し、ついで8日に全上海市の革命派団体の総指揮部が成立し、また放送局を占領しました。この指揮部は直ちに全市の交通運輸と生産を統一的に掌握する任務につき、市の経済動脈の中枢になりました。9日には上海工人革命造反組織が連名で、緊急通告を発し、革命に力を入れ、生産を促そうという方針に基づく10力条の措置を発表しました。毛沢東はすでに12月上旬に、上海の革命派の幹部の一人張春橋に会い、上海の革命派の立ちあがりを支待しました。そして一月中旬、革命派の闘争が高まる中で、人艮解放軍は革命的左派を支持せよという呼びがけを発しました。そして1月下旬、三結合による奪権闘争についての指示が、北京の毛沢東から伝えられました。2月5日、過去3力月にわたって実権派と闘争し、下から上へと奪権をつみ重ねてきた基礎の上で革命派の団体は大連合して、同市の臨時の最高権力機関である上海市革命委員会を設立しました。この出来事を一月革命と呼んでいます。

中国と時代背景

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