紅衛兵

文化大革命が高まりを迎えた1966年5月に清華大学、ついで北京大学に創られたのをきっかけに、全国の革命的な学生、青年の組織として、広く創られました。当初は紅五類、つまり労働者、貧下中農、革命犠牲者、幹部および共産党員の子弟をもって組織されましたが、のちには敢然と革命に参加するものであれば、誰でも参加できるものとなりました。当時は腕に赤地の布に毛沢東思想紅衛兵と書いた腕章をつけ、初級中学以下は、紅小兵と名乗りました。この紅衛兵は66年11月に労働者階級の革命的造反運動が高まるまでの間、文化大革命の最前線にあって、中央文化革命小組の指導を受けました。66年8月頃から北京市をはじめとして、各地の紅衛兵の交流が行われ、8月18日から11月26日にかけて、8回にわたって、北京天安門前で、毛沢東主席と紅衛兵の会見が行われました。しかし文化革命の進展のなかで、紅衛兵組織が対立し、北京には第一から第三までの、三つの紅衛兵司令部ができ、武闘を行いました。北京市の奪権闘争が進んだ67年3月には首都中等学校紅衛兵代表大会が組織され、中等学校紅衛兵の最高権力機構となり代表大会の閉会中の日常の事務工作を処理する常設の委員会が造られました。その後、68年7月、労働者毛沢東思想宣伝隊が各大学、中学、小学に入って、学校管理を実施して以後、紅衛兵運動は一段落を告げたものと見られています。

中国と時代背景

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