大衆独裁

革命委員会が省市級ばかりでなく、工場や人民公社や学校に成立するようになった1968年には、プロレタリアート独裁は、プロレタリア階級と広範な人民大衆によるブルジョア階級に対する革命的独裁であり、圧倒的多数の人々による、極めて少数のものに対する独裁であることが主張されました。これには二つの条件がありました。一つは、革命委員会の成立で、革命委員会は革命的大衆組織の代表、革命的幹部の代表、人民解放軍部隊責任者によって構成されましたが、革命的大衆組織がこの権力機構の基礎をなしていました。つまり革命的大衆が直接に権力を行使する機構が成立したことです。もう一つは67年10月以来の毛沢東思想学習班の活動によって、広範な大衆が毛沢東思想を活学活用するようになり、大衆の思想、政治の水準が高まったことです。それにつれて大衆組織の中に潜んでいた、反革命分子や右派分子が目立つようになり、大衆がこれを摘発して一部は公安機関に引き渡しますが、一部は大衆の直接の監視下において、改造できるようになりました。つまり大衆が独裁権力を直接に行使しうる状況が生れたということでした。

中国と時代背景

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