革命委員会

文化大革命の中で新しく生れた権力機構で、革命的幹部、軍隊の代表、 革命的大衆の代表の三者から成立します。いわゆる革命的三結合を実現したものでした。これは一元化された指導を実行し、行政を簡素化し、大衆とのつながりをた持った指導グループとして、1968年3月に毛沢東によって認定されました。そして9月には、中国全土の各省・市・自冶区に成立し、全国の山河は全て赤くなったと讃えられました。その後、さらに下級の行政単位・学校・企業に成立しています。しかし党の再建が進むにつれ、しだいに消えつつある傾向がみられました。
精兵簡攻とは革命委員会の勤務員を精鋭化し、機構を簡素化することで、毛沢東は1968年3月に革命委員会は一元化された指導を実行し、重複する行政機構をうち砕き、精共簡政を行い、革命化され、大衆と結びついた指導グループを組織しなければならないという指示を発しました。これは従来の人民委員会、党委員会と異なった革命委員会の組織原則の一つでした。機構の簡素化は、はじめに動務員の少数化として実行されました。上海市の革命委員会の動務員は200人でしたが、これは、文化大革命以前における人民委員会と党委員会の合計勤務員数10万人の2%でしかありませんでした。勤務員が少数精鋭になったために、多くの委員は生産現場に入り、労働者農民大衆と直接に結びつき、労働者農民と同じ労働報酬を受けとるようになり、官僚制度に特有な官吏の特殊のお金賃金は解消しました。革命委員会の指導グループとは、革命委員会常務委員を指しており、共産党員によって構成されています。共産党組織としては、党委員会指導部の構成員は、革命委員会常務委員により構成されていました。このことが一元化された指導の内容です。

中国と時代背景

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